「グループ華」の名前の由来
介護保険制度が始まる前のことです。ちょうど20年前生野町にあるボランティアグループ「認知症の集い グループ華」を私は訪ねました。
当時創設者であった平田温子さんは70代前半で亡きご主人の歯科診療所であった建物を用いてボランティア5人程で認知症の方を6,7人を丸一日お世話する活動をされていました。
この元に掲げている施設理念グループ華のことばは当時、平田さんが診療所の和室の壁に掲げてあった言葉をそのままを頂戴しました。
どんなに年をとっても住みなれた地域で暮らしたい。そしてお世話する立場の私達もいつか年をとり、今度はお世話になる立場になった時が来ても、またグループ華に来たいと思えるように、と常日頃から利用者の方と関わっていますと話されておりました。
何年か経って再度足を運んだ時、平田さんはボランティアだけで運営していくことの難しさと自身の体力の限界を嘆いておられました。
この時私はこれを社会全体で福祉サービスとして確立しなければならない。これは私がやらなければならないと強く心に決めたのです。
施設の名前にはそんな思いが込められています。
社標に込められた思い
私の友人であった今は亡き窪山秀樹君のお母様が彼の形見の大島紬の着物で作ったパッチワークを会社社標に起用しています。
生前、神戸の病院で理学療法士として活躍していた彼は当時からいつも熱く語っていました。
「入院できる期間が短縮していく中、患者さん全てが順調に回復して退院できるわけではないそんな患者さん達は、家に帰った後どう過ごしているんだろうか?
病院という限られた領域ではなく退院後の患者さんの生活に関わっていきたい。
いつかそんな事業を起こしたい
この社標には彼が果たせなかった思いを胸に歩んでいくと誓った私達の強い意志がこもっています